Happy to be where I am today.

毎年恒例のお誕生日ブログ。過去のものを読み返すと背中を押されるような気持ちになって嬉しいので、今年も赤裸々に綴っていきます。


本日、23歳になりました!

久しぶりに地元福岡で家族と過ごす誕生日。とはいえ特別なことはあまりなくて。

実は数日前東京から帰ってくる時に風邪を引いてしまい、怠さはないけれど微熱が引かなくて家で安静にしています。義理姉がご飯に誘ってくれて兄弟たちが祝ってくれる予定だったけれどベイビーたちにうつってはいけない...だからまた後日に。本当は父に美味しいお鮨を食べさせてもらおうとか思ってたけど、出張で帰りが遅くなるからとキャンセルになってたし。いいのいいの。今日はそういう日。笑


せっかくの誕生日なのに〜とがっかりしないのは、東京で大好きなお友達がお祝いしてくれたから。もう十分幸せ。


りか、すず、モアイの3人、正義、家族同然のSIのみんな


誕生日が近いのを覚えててくれて、サプライズやプレゼントを準備していてくれたことに感激!しほとまりなに関しては、カラオケで突然「涙サプライズ」をしどろもどろ歌ってくれてシュークリームくれてありがとうwwwwww 素っ頓狂な反応しちゃったけど嬉しかったです!


このブログを書いている最中も、宅急便でお花やプレゼントが届いてびっくり!


卒業して福岡に引っ越してもこうやってみんなから愛をもらって、本当に幸せだなぁとしみじみ。


19歳は、人生どうしたいのかを考え、自分の土台を固めた年。

20歳は、愛にフォーカスした年。

21歳は、自分の情熱を追い求めた年。


22歳は、【変化の渦】の中にいた年だったように感じます。



今はまだ、変化の途中

ちょっぴり不思議だけど、1年くらい前から「なんか変わってきてるね、前より苦しくなさそう」って教会のお姉様方から言われることがポツリポツリとあり、自分自身でも「次のシーズンに移り変わっている、何かが始まる」と強く感じていました。


そして1年経った今、本当に私は去年とは全く異なる場所にいて、新しい景色を見ている。


でも、ここに行き着くまでが目まぐるしかった。


自分の葛藤を隠しきれなくなってて、握り締めていた「何か」を手放したくて、でもそれが怖くて。


それは自分自身に対するプライドだったり、自分の価値には他人からの評価が反映するという「嘘」だったり。


時には誰かにそれを指摘されてカッとなったりした。「ふらふらしてるよね」って言われるのが嫌でプンスカしてた。


「わかってる。わかってるけど簡単じゃないんだ。わたしはまだ変化の途中にあるんだから、自分で、自分のタイミングで乗り切るから、余計なお世話だ。」


自分で自分を信じてあげるのが難しい時期だった。


逃げてるつもりはなかったけれど、将来のことを考えるより今現在のことで一杯一杯だったのかなぁ。もしかしたらまだ見ぬ未来が怖くて、過去と現在にしがみつきたかったのかもしれない。


後先を考える強さはなかったから、立ち止まらなかった。

22歳になってすぐ、ライターの仕事をほとんど受けなくした。去年はカフェのバイトをしながら、週に2回バイリンガルベビーシッターのお仕事もしていてその2つが大学4年生の私の収入源だった。


ちなみに去年の10月は友達と立ち上げたメディアでライターとして書いていたから、ライター業のほとんどは無給だった。多い時は月に10本くらいそのメディアに入稿していたし、出版物に寄稿したこともあったから、「りさこ=ライター」というイメージがついてくれているなぁと最近になって感じているけれど、


実際には、今年に入ってからは自分のブログでしか書いていなくて、ほかはゴーストライターみたいな仕事を少し。とても「ライターしてます!」とは言えるような生活はしてなかったよ。


自分で優先順位をつけた結果がそれだった。人のために書くことがなくなってからは、前ほど上手く言葉を紡げていない気がするけど、後悔はしていない。


カフェの仕事は楽しかったし、クレープ作りが上手になったし、特別な時間だったと思ってる!笑 バイリンガルベビーシッターは、これまた素晴らしい経験になった。この話は長くなるからまた違う記事にしよう。


そんな感じで先のことを深く考えることもなく、気づいたら福岡行きの新幹線に乗っていた。突然の祖母の他界により移動が早まったから、感傷的になる暇なんてなかった。


「え、わたしの東京生活、こんなに呆気なく終わっていいの?」と思い文章化を試みたけれど、特に何も浮かんでこなかった。その時のメモがこれ。


「卒業や引越し関連の慌ただしさと疲労に追い打ちをかけるような花冷え、厳しい寒さが数日続きすっかり風邪を引いてしまいました。


今は新幹線の中。博多を目指して西へ向かっています。


東京駅を出発して、新横浜をすぎる頃にはウトウトとしていて、目が覚めたら新大阪で止まろうとしていました。


本当は明日の午後に出発する予定だったのだけど、突然の悲しい知らせを受け、予定を変更して帰路に就くことにしたの。


本来は思い浮かぶ限りの人たちにお別れをしてから、お気に入りのsad songsを聴いて感情的になりながらブログでも書こうと思ってた。だから鞄にはしっかりとPCを入れておいた。


けど、あまりに実感が湧かなすぎて、ただぼーっとするだけ。


国内外での移動なんてここ数年で数えきれないほどしたから、これといって特別感がない。強いていえば、片道切符だけが私に「家に向かっている」ということを思い出させてくれている。でもそれだけ。」


試練を乗り越えるために与えられた心の支え

帰ってからは、とにかく試練だった。孤独で虚しくて、人生の輝きが一気に失われた。

4月も5月も泣きながら過ごした。現実を見せられた気がして、今までの楽しかった時間は夢だったのかな?ってさみしかった。


それまで先のことを考えてこなかったから、何を期待していたわけでもない。


だけど、希望の光が消えていく。薄暗い方へどんどん進んで行く。辛い、変化が怖い、逃げたい、だけど逃げられる場所がない。


Naomiと電話で励まし合いながら、こう話したのを覚えてる。


「季節を作ったのは神様で、それぞれ美しく作ってくれたのも神様だから、
私たちの人生の季節が変わっても、また私たちにとってベストなものが準備されているんだろうね。ずっとこのままがいいって思う時もあるけれど、季節が巡ればまた違う幸せにたどり着くんだよ。だから、大丈夫だよね、私たち。」


それからすぐ、地元で教会に行き始めた。あたたかい神様の愛で迎えてくれる人たち、あぁ心地よい。


新しい友達ができて、気持ちがとても楽になった。(これについても後日、また別に書こう)


月に1度、法事や母の病院の関係で東京に行くようになった。変わらぬ愛で迎えてくれる人たちは心の支えだった。


みんなが社会人として働く中、私は一体何をしているんだろうと1人で情けなくなることもあったけれど、友達といるときは、そんな引け目を感じることはなかった。


そして、神様は「ここ福岡の地に私がいる意味がある」と言ってくれている気がした。示されたから信じ続けられた。


自分のタイミングを、自分のやるべきことを信じることができたのは、暖かく見守ってくれた友達のおかげでもあると思う。みんながいてくれたから、ちゃんと自分の人生と向き合えるようになったのかも。ありがとう。


流れ着いた先が、いま、ここ。


私は今の自分が好きで、心地よくて、ここに自分がいる意味もなんとなくだけど、前よりはっきりと、強く感じている。


この前東京に行ったとき、「なんだか変わったね」と言われた。芯がしっかりした、ずしっと構えてるって。


この記事を書くために自分でも過去の自分を振り返り、原点である16歳の自分と比べてみたとき、あの頃とは全く違う佇まいの自分に驚いた。これまでは、16歳の自分と現在の自分は現在の自分は繋がっていると感じてたけど、いまは完全に過去の自分と現在の自分。同じ私だけど、もう違う自分。


勇敢でキラキラしていた16歳の少女だった自分から遠ざかるのは少しさみしいけれど、大丈夫。今の生活がとても好きなの。あの頃があったから、今の恵み溢れる人生が広がっているんだ。16歳の自分ありがとう。16歳の自分を支えて未来へと導いてくれた人たちと神様に1番感謝してる。


試練と愛の連続だったビタースウィートな1年だったけれど、自分の中で何かが新しくスタートしたとても大切な季節だったよ。


23歳の私は何をみて何を思うのかな?どんな旅になるのか楽しみです。


みなさん、これからもどうぞ宜しくお願いします♡


Cup of Grace

1杯の紅茶と溢れるほどの恵

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