Love of my life
木々の葉も鮮やかに染まり、爽やかな秋晴れが広がる大好きな季節が今年もやってきて、先日21歳の誕生日を迎えました。みなさん、素敵なお祝いをどうもありがとうございました。
去年の誕生日に書いた文章を読み返してみると、19歳は自分の芯となる軸がしっかりと固まった年になったと書いてあったけど、20歳は、「愛」 について深く考えた1年だったなと思う。特に長い時間をかけて考えたのが、原動力となる愛、受け取る愛、そして捧げる愛。
ある日先生に言われた「気付けば何時間も経ってしまった!というようなあなたが夢中になることは何?何をしていると心から楽しいと思う?それを仕事に結びつけて見たらどうだい?」という言葉が心に強く響き、それから自分がパッションを感じるもの、愛を原動力にしてできることは何だろう と意識しながら日々を過ごしてみた。
この3つは、今まさに留学中の私の生活の中でも大部分を占めるものになっている。そして、この3つへの情熱をこれからはビジネスなど目に見える形にしていけたら幸せだなと思えるようになった。きっとこれは、この先の方向性や自分が幸せになるための選択に役立つと思う。好きなことをしながら生きていきたいし、いつまでもこのエネルギーを感じていたい。この世界にとって大きなことを成し遂げられなくても、小さなことをとびっきり大きな愛を持って行っていきたいな。
例えば、受けとる愛。
私ね、本当に愛されていると思う。両親と祖父母からの壮大な愛を受けて育てられ、血の繋がらない、国籍も違う人たちから家族のように接してもらって、友達からも見える形でも目では見えない形でも愛を表現してもらってる。フランスで改めて気づいたのは、どこへ行っても私を愛してくれる人がいてくれるということ。遠くで祈りながら待っていてくれる人たちも、出会って間もない私をもてなして親切にしてくれる人たちも、たくさんいる。そして何より、計り知れない無償の愛を注いでくれている方を私は知っている。みんなのおかげで地球上のどこにいっても心がいつもあたたかい。本当に幸せです。
20歳としての1年間に、天国を垣間見たかのような幸せを感じた瞬間というのが3回もあった。この歳でもうすでに天国を見てしまった。きっと天国ってこういう気持ちになれる場所なんだろうなって。永遠が存在するのではないかと思うくらい時間を忘れて、真夜中に大好きな人たちとケラケラ笑った時、血の繋がっていない家族から「あなたは私の娘だから。」と抱きしめられた時、一緒に笑って泣いてくれる母の宇宙より大きな愛を感じた時、私って、本当に本当に、途方もなく大きい愛に包まれて生きているんだなって超然した。
ふとした時、捧げてもらった愛の大きさにびっくりする。私がいつでも幸せでいれるようにと、私にとって最高の環境を整えてくれている家族の献身さには脱帽する。10代のころは、誰かに愛してもらうこと、つまり受動的な愛に大きな価値を見出しているけれど、自分が今までにうけとった愛の大きさとそれに対して払った犠牲の数を悟ってから、私も同じくらい、できればもっと大きな愛を誰かに捧げたいと思った。まずは、両親と祖父母に同等の愛をお返ししていきたい。いずれは一生涯愛すべき人に、自分が産む子供に、そしていつも私を笑顔にしてくれる友達たちに。みんながいつも笑顔であってほしい。私が感じるこの幸せを、みんなにも感じてほしい。そう真剣に考えた。そして、これからは他人を心の底から愛する人生を送りたいと決心した。
愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。(コリント人への手紙I 13:4〜8)
愛って何?って聞かれたとしたら、明確に答えることはできないかもしれない。目に見えないものを表現するって難しい。でも私はこの言葉こそ、愛を定義してくれていると思う。
まだまだ未熟だけれど、神様の愛の道をたどって、その愛を映し、示しすことができるような人になりたいな。そして、「清く、正しく、美しくありなさい。」という両親の願いに忠実に応えることができるように、これからも邁進してまいります。
0コメント