質素で簡素な暮らしこそが上質。

最近頭の中がごちゃごちゃしていて、思考を深めるということもままならないまさに「頭の中がゴミ屋敷状態」なので、整理するためにもここに色々と書いて行こうと思います。そもそもこのブログは備忘録みたいなものだし。Wordpressとは異なるクローズドな空間にしてるつもり。


最近考えているのは「質素で質のいい暮らし方」。


これまで私は所有することに執着していたけれど、それが変えられていけばいいなと祈ってるよ。"質素で簡素な人生こそが満ち足りた人生"なのかもしれないなと思うようになったから。



あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない。(コロサイ人への手紙 3:2)



そういえば去年も似てることをぐるぐると考えてた。その時は自分の心のバランスが取れてなかったせいで答えが出ず、というか答えを受け入れる準備ができてなくて放棄状態だったっけ。



イタリアでずっと憧れだったブランドの靴を買った。財布も新調してバッグも買ったし洋服も増えた。同時期に一気にお金を使ったのは特に意味はなくて本当に偶然なんだけど、そこで気付いたのは「買い物では全然満たされない」こと。


所有することで幸せを感じたくてお金持ちになりたかったし、満たされたくてブランドものを欲しがってたなって今更受け入れることができた。


満たされるように感じても、それは一時的なもの。またすぐに違うものが欲しくなる。キリがないじゃないの。


一方で幸せだなぁと思う瞬間は、大切な家族や友達とのクオリティタイム。子供たちの成長をみるとき。教会で賛美しているとき。心身のコンディションがいいと毎日気持ちいい。


ラグジュアリーホテルでのアフタヌーンティーもいいけど、大好きな人と食べるサイゼは予想以上にいけた。そのあとの31は最高。地元の海は葉山みたいにおしゃれなカフェがないけれど、海でのスイカ割りはめちゃテンション上がった。


去年私が一心不乱に追い求めていたものは、思っていたほど私をハッピーにはしてくれなかった。なんか呆気ないとまで感じた。でも、もっと良いものを見つけることができたと思ってるよ。あーシンプルな人生って恵みだなって。


ちょうど1年くらい前に読んだ記事では哲学者であるプラトンが提唱した「幸せの5つの条件」について書かれていた。うろ覚えだけど、こんな感じ。


1、衣食住は理想レベルから少し足りないくらい
2、すべての人が讃えるには足りない容姿
3、1人には勝ち、2人には負ける体力

4、半分しか認められない名誉

5、演説には聴衆の半分だけが拍手をくれる


この5つがちょうどいいんだって。


なぜなら、


1、衣食住は理想レベルから少し足りないくらい

→全てが大切で価値のあるものに見える


2、すべての人が讃えるには足りない容姿

→一緒にいてくれる人たちのことをありがたく思う(見た目で判断されているのではなく自分の中身や個性や価値を大切にしてくれる人たちだから?)


3、1人には勝ち、2人には負ける体力

→このくらいの方がかえって人を引きつけることができる。(高嶺の花になっても仕方ないよってことなのかな?)


4、半分しか認められない名誉

→この方が自由でいられる。


5、演説には聴衆の半分だけが拍手をくれる

→好き嫌いが分かれるのは論点が明確であることの表れ。


これを読んだ時のメモにはこう書いてあった。


幸せは所有や成功にあるのではなく、神様との正しい関係から生じます。他の人と競争し、少しでも高い地位を得ようとしてもがく人は、神様が与えてくださる平安と喜びを味わうことはできない。


多くを持つか持たないかではない。それは幸せとは関係ない。
だけど足りない人の方が幸せになる。足りなければ、自分が持っているものの価値がわかりさらに幸せになれるから。


神様から与えてもらうものを心から喜び、神様を賛美する。そして人を愛することこそが幸せ。


私は多くを求めてしまっていた。しかも不必要なものを。

もっとシンプルな暮らしでいいんだろうな。


自分の所有物や経験でプライドが高くなって傲慢になるくらいだったら、持つものを少なくして目立たない人生を送りつつ周囲の人をとびっきりの愛を持って大切にして行く方が楽しいんだろうね。



また少しずつ人生が動き出したのを感じている今日この頃。数日後には新居にお引越しです。

持ち物の整理もできていいね。これからどんな暮らしをしたいのか、何を大切にしたいのか、じっくり考えていきたい。それにしても荷造りが捗らないなぁ。












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